2009年8月18日火曜日

ConceptionAbility_#03

国際空港シェルメティボ II (ШереметьевоII)

ソヴィエットが崩壊するまでは頻繁にアエロフロート(SU=Аэрофлот)のモスクワ経由便で欧州出張に出かけていました。当時はシベリア航空路が西側の国には解放されていなくて、遠回りしてアラスカのアンカレッジ空港で一旦給油、そして北極圏を飛ぶ以外にはありませんでした。フィンランドは東西の政治的なバランスを上手くとって、フィンエア(FIN)のシベリア路線を持っていましたが、ちょっと高かったです。当時SUの航空運賃は安かったです。しかも早く目的地に着けるのがSUの魅力でした。SUには酒の肴になる様な話が幾つかあるので更めて書きます。

さて、SUで成田を発つとモスクワのシェルメティボ II空港で乗り継ぎです。私たち東アジア人が欧州やそれ以遠を目指すならばあの位置はメリットが有りました。「全方位ハブ空港」ではないにしても東からのアクセスには「ゲイトウェイ空港=欧州への玄関」です。当時の東ドイツのインターフルーク(IF=Interflug)にも乗れますした(要ビザ)。その時代「陸の孤島西ベルリン」には英米仏の航空会社しか飛ぶ事を許されていなかった記憶があります。

しかしアエロフロートはロンドンにもフランクフルトにもミラノはもちろん、すでにアフリカや南米まで路線を拡げていたのでした。

反対に西方からのアクセス旅客に対しては魅力が乏しいかも知れませんね。認識不足かもしれませんが、ロシアのモスクワ以東に足を伸ばす旅客数はそれほど多くない気がします。私がフランクフルトに行くのにロンドンやアムステルダムまで先ず往って、そこから戻るのはナンカなぁ、と思う逆バージョンかも知れませんね。

当時、日本に出かけるドイツ人や英国人もけっこうSU機内で見かけました。多くが常連客の様でした。こうした顧客層には「ハブ」に成っていたのだろうと思います。


2009年8月7日金曜日

ConceptionAbility_#02

国際空港の事など:巨大都市空港

東京に住んでいる私にとってすら成田はホトホト不便です。地方から海外に出かける人たちは往きも還りも大変だと思います。関空は利用した事がありませんが、ここも良い評判は聞きません。むしろボロクソに言われていますね。

まず遠くて時間がかかります。特に成田は東アジアのハブ空港を韓国の仁川と競うには規模が小さすぎませんか。太平洋西周り航空路では東アジアの「Gateway」にはなり得る地の利はあります。が、東回りルートからのアクセスには「極東の終着点」でしかあり得ません。しかも「国内Hub」としてもアンマリな状態ではありませんか。

羽田を拡張すると言う構想も聞きます。国内の各都市から(に)乗り継ぐ人にとっては朗報しょう。ただ、旅行者が飛行機以外の交通手段を利用して比較的近距離の都市との間を移動するには都市圏が巨大すぎて、膨大な利用客に遭遇する事は避けられません。時間帯によっては悲惨でしょう。伊丹もカンベンしてくれ、と言う感じです。

東京の人口は1200万人だと言うアタマがありました。ところが東京を取り巻く近県の都市を含めた「首都圏」の人口はもはや3,460万人で、国内総人口の30%弱なのだそうです :-O

東京を凌ぐ人口集中都市、韓国のソウル首都圏(ソウル特別市、仁川広域市、京畿道一円)はどうなっているのか気になりました。総人口は近く5000万人を越し、その45%がソウル首都圏に暮らしているそうです。凄いです :-o

ところが今日の仁川は世界でも最も評価の高い空港の1つです。私は金浦時代しか知りません。でも、仁川の良質のサービスが評価されているなら、他国の空港のあり方の「失敗の研究」が活かされているのでしょうね。ちょっと興味があります。


2009年8月5日水曜日

ConceptionAbility_#01

国際空港の事など:静岡空港開業

新聞はしばらく保存しておいて少々「発酵」してきた頃にじっくり読み直すのが趣味の様になっています。

朝日新聞の06月04日付けに静岡空港が開港した記事が出ていました。死者も出るほどの反対運動もあって、最後には知事が失職するハメになりました。

新しい航空会社の参入も以前から話題になっていました。最初「フジドリームエアラインズ」の名前を聞いたときは遊園地の「富士急ドリームランド」を連想して、遊覧飛行をするのかな、と思った時もありました。貿易業務をやっている人ならまず知っている鈴与が経営の主体です。

多くの地方空港の経営が成り立たないとしばしば耳にします。静岡はどうなんだろうと思いながら記事を読んでいくと「全国98番目の開港」と書かれていました。そんなに多いのか、と気になって検索したら現在運営されている空港はそんなに多くありません。60空港弱の様です。では飛行場も含まれているのかと思ったら、さすがに軍用の施設もあるのでそんな数では収まりません。

記事にある数字が正しいなら、一旦は開港した空港でギブアップしたところが40近くもあると言う数字なのでしょうか :-o


2009年6月30日火曜日

Oi Paulistano! #46

時は過ぎ行く - 終わりに

昨年の8月初めに出かけたサンパウロのわずか1週間足らずの事をえんえん10ヶ月もかかって書いてしまいました。

ブラジル出張の時期にはサブプライムも問題になっていましたが、まだ世界的にどこまで影響が出るものか予測できない時期だったと思います。ブラジルのメディアも楽観的な記事も流していたと思います。すると9月には Lehman Brothers がギブアップとなりました。秋口を過ぎると世界中に影響が及びましたね。

日本で就業していたブラジルの人たちも大変な事態になってきました。日本政府がとった対応は下策中の下策でしょう。商いがうまく行っている間は、同郷のツテを頼って丁稚たちを呼び寄せていた大店が、いざ商いが回らなくなると掌を返して:

「お前たちは郷にとっとと帰んな。二度と来るんじゃねーよ!路銀は大旦那様からお貸し戴けるから、郷に着いたら親族一党に借りて直ぐにお返しする様サンタンするんだぜ。」

なんて民度の低い国民なのか世界に自己暴露してしまいました。この旦那と取り巻き達、逐われた人たちが「必殺仕掛人」に依頼したら殺されちゃいますよ。月夜の晩ばっかりじゃござんせんよぅ。

他には自然災害もありました。秋にはブラジル南部に大きな洪水が起こりました。私の仕事をコーディネートしてくれたドイツ系の会社もクリチーバ(Curitiba)にあり心配しました。去年のクリスマスに受け取ったeMailには「復興して落ち着いた」とありました。

P.S.
海外出張の話題の様に長期にわたるテーマは別室を設けてそちらで扱おうかと思ったりしています。運用の仕方を考えています。


2009年5月22日金曜日

Oi Paulistano! #45

So Long & Hello Again

賑やかな時間も過ぎていこうとしていました。若い彼らはそろそろ日本人のMr.ナントカが来る時間なので迎えに行くと言っています。私のチェックインカウンターもそろそろ開く頃かもしれません。

彼らには「日-葡辞書」をお土産に進呈しました。到着直後にポケット判の「独-葡辞書」を買ったので、こちらはほとんど使わなかったのです。彼らが「Adeus(=さよなら)」と先に席を立ち、私も荷物をまとめてカフェを後にしました。

焦る時間でもないので一旦ターミナルビルから外に出てしばらく煙草を吸ってのんびりしました。いやぁ、色んなことが有りました :-) 

これからまたエンエン飛行機に乗らなければなりません。Atlanta 空港の喫煙スペースは確認済みなので気持ちが楽です。これが最後の煙草を吸ってからチェックインカウンターに向かいました。

昨晩の彼女がいて私の顔を見つけるなり近くに来ました。そして「 Hello Again 」といきなり言われてしまいました :-)

航空会社の手続きも出国コントロールも無事に済み、搭乗ラウンジに向かいます。短い期日とは言え「盛りだくさん」のサンパウロ滞在でした。


2009年5月20日水曜日

Oi Paulistano! #44

未知との遭遇_#05_続「くぅもかぁ、あらしかぁ、いなづまかぁ〜♪」

PCの音がそこそこ高く、いくらカフェが空いはいてもあたりの人たちが少々気になりました。でも彼らは気にしていない感じです。やや心配です。

National Kid の映像クリップが何編か流れた頃、カフェの奥からチーフウェイターがこちらをちょっと眺めてから近づいてきました。

マズいなぁ、マイッタなぁ、と思いましたね。ポルトガル語は通じなくても何しろ私がウンと年長だからまっさきにゴメンナサイするしかありません :'-(

ウエイターのおじさんはまっすぐテーブルに来るなりPCを覗き込んで、長身の彼と何やら話を始めました。「これは National Kid か?」「私も子供の頃に視ていたんだよ」なんて話の展開のようでした。ポルトガル語のナレーションで始まるオープニングがもう1度始まると、画面に首を突き出して「もう少し大きな音で!」なんて言っているみたいです。

「もう1度!」とリクエストが出ました。すると今度はメロディーに併せて歌い始めたのです。呆然としていると、私の目を見て「一緒に歌え!」促されてしまいました。いやぁホント、吃驚です :-O

ふと気がついたら、カフェの他のお客さんが側までやってきてPCの画面を一緒に覗いていました。どこから現れたんでしょう :-o


2009年5月19日火曜日

Oi Paulistano! #43

未知との遭遇_#04_「くぅもかぁ、あらしかぁ、いなづまかぁ〜♪」

長身の彼が戻ってきて話が再開しました。我が家でも子供たちが小さな頃は「仮面ライダー」や「ウルトラマン」はよく視ていたし、私の小さな頃も白黒TVで子供番組をやっていた事なんかを話しました。

すると「例えば National Kid なんかの事?」と思わぬ質問がかえってきました。「それも視ていたなぁ」と言うと、「私の父が子供の頃に好きだった番組です」。「ブラジルでは日本の放送の7年後に始まりました」と言います。知りませんでした :-O

長身の彼がPCを触るとポルトガル語のナレーションで始まる National Kid のオープニングが流れ始めました。



「雲かぁ、嵐かぁ、稲妻かぁ〜♪」そうです。こんな歌でした。

今聞くとなんだか天気予報みたいな歌詞ですね :-)

P.S.
ブラジルでの National Kid の放映は、あのサッカーのジーコがインタビューで子供の頃に視ていたと話したそうで、結構知られているのを帰国後に知りました。


2009年4月24日金曜日

Oi Paulistano! #42

未知との遭遇_#03_Intermission -ちょっと一息

英語のできる長身の彼は時々席を外しました。見送る日本人のナントカさんの帰国便のフライト情報を確認に行っているみたいでした。

その間は、小柄の彼と私の自動翻訳での"会話"です。「TOKUSATU」の話題には私がついて行けないので気を使ってくれたのでしょう、彼の個人的な話もちょっと聞けました :-)

彼の父親はブラジル空軍に籍が有って、そのため転勤が多く国内のずいぶんあちこちで暮らしていたのだそうです。軍の力が強そうな南米諸国中でもブラジルの軍備はそうとうなものらしいですから基地も多数あるのでしょう。どうやら徴兵はこれからの様で「日本も徴兵制?」と訊かれました。

親戚がHONDAのオートバイを扱っていて、近い将来に日本に研修に行くかもしれないけれど、本当はオートバイは好きじゃないからどうしようか、やはり父親のいるに空軍に入ろうかな、と言います。

英国とフォークランドを巡って一戦を交えたアルゼンチンと違って、ブラジルは近隣国を含めて大きな戦争をした記憶がありません。ただ、やはり国境を接している国が多ければなにがしらの緊張もあるのかと思い、やんわりとそんな事も訊いてみました。特に緊張は無いとの答えでした。

他には、彼には姉がいて結婚しているとか、私には子供がいるのか、とか? 等々、ごくごくありふれたやり取りでした。出かけた国での仕事関連ではない人、ましてあんなに若い人と話をする機会は少ないので面白かったです。最初はどうなるかと思いましたけど ;-)

続きます。が、吃驚の展開になります(←ちょっとオオゲサかな)。
さて、その顛末は果たして‥


2009年4月22日水曜日

Oi Paulistano! #41

未知との遭遇_#02 - " TOKUSATSU "

意外だったのは Google の自動翻訳です。ラップトップを物理的にやり取りしての短文(英-葡)の交換ですが、直にPCが行ったり来たりするだけに、メイルやチャット様に「受信文を翻訳して、これに返信を書く」よりは手間が省けて話がどんどん進みます。

彼らは「日本の特撮番組」が好きで、関連のキャラクターグッズの蒐集をしている、のが判ってきました。そう言えばサンパウロの中心街にも小さなVHS-ビデオ&ゲームソフトの店が何軒かあって「特撮物」が並んでいたのを思い出しました。

彼らのPCには「日本語フォント」がインストールしてあって「アニメ」「特撮」「コスプレ」etc.の日本語の混じったサイトも気にせず見ている様です。日本語もこうして覚えたんでしょう。このあたりの単語はローマ字書きすればブラジルでも普通に通じるみたいです - 私みたいに関心のない人種はモチロン別でしょうけど。

日本語の「参上」と「見上」はどう違うの、なんて質問も飛び出してきました。一応答えてみましたが自信はありません。

グッズに関してとっても詳しいです。この「ナントカグッズ」はドノ国製で安いけれど、こちらのこれはカノ国製で、高品質だけれど数が少ない等など。もちろんズバリのメーカー名も出てきます。値段もUS他とブラジルのネットショップのそれを較べると云々‥。マニア間の売買やオークションも盛んみたいでした。彼らの参加しているフォーラム(SMSと言うべきかな)も見せてもらいました。熱そうな情報が飛び交ってますね。大変なエネルギーです。

Mr.ナントカ(日本人)を知っているか、と訊かれたので「いやぁ、知りません」と言うと、ブラジルで開催されている「Anime/Tokusatu/Cospre‥」のライブイベントに今年参加したゲストなのだそうです。今夜の飛行機でUS経由で帰国するから見送りにきたのだとの事。

更めて検索してみると「AnimeFriends」だったみたいです。2009も凄そうです :-O

サイトへの直Linkは「Not Accept」になっています。URLをブラウザにCopy&Pasteしてください↓
http://www.anifriends.com.br


2009年4月21日火曜日

Oi Paulistano! #40

未知との遭遇_#01 - 仮面ライダー現る

いよいよ帰国もまじかです。

時間を持て余して、ビールでも飲もうと時間つぶしにカフェのテラスに腰掛けました。さすがに空港ですねぇ、うんと高い値段がついています。
暫くいると若いブラジル人(20歳くらいかな?)の2人が「日本人ですか?」と寄ってきました。何かを買ってくれとか、何か呉れとか言う雰囲気ではないので「そうですけど」と言うと、とても話がしたい感じです。

が、ちょっと気になった事が‥。

背が高くてちょっと長髪で色白の彼はちょっと慣れていないけれど英語ができました。腰に何やら仮面ライダーベルトの様なもの巻いています。小柄の方の彼(私と同じくらいかな)はやはり腰にオモチャの刀みたいな物を挿してPCを抱えていました。

私だけ腰掛けていて、相手は立ったままというのも居心地が悪いですし。店も空いていたので「まぁ、どうぞ」と言うと、礼を言って彼らもテーブルにつきました。

まず、長身の彼が実物を腰から外して「これは仮面ライダーナントカのベルトで(日本語で) "すごィ、カッコいい"」とアクションを交えながら口火を切りました。やはり! でした。

小柄の彼は英語ができないけれどPCをもっているので "GoogleLanguage" でコミュニケートできます、との事。身につけている「装備」は「ナントカ戦隊 - カントカ」の "武器" で凄く希少品なのだそうです。

そのものズバリは見つけられませんがだいたいこんな傾向のキャラクターグッズです。

むむむ、何だこれはぁ :-O
呆気にとられて腰が引き気味になりました。


2009年4月19日日曜日

Oi Paulistano! #39

TAMとVarig

昼近くになったのでシャトルバスで再び空港に戻りました。半日以上時間が余っていますがグアリューロス市内でうろうろしても言葉がまったくダメですからする事も限られていますし、道に迷うのも困ります。

発着を表示するディスプレイを時おり眺めながら空港内を行ったり来たりです。更めて見てみると発着便の半分近くがTAM航空なんです。EUでは見た記憶がありません。でもけっこう世界中に飛んでますねぇ。



次々に表示されるのは圧倒的にTAM、次いでUS系、それに混じってところどころEU圏のエアラインでした。かつてEU圏の空港でしばしば見かけた Varig の名前もない訳ではありませんが、かつてのナショナルフラッグの面影はありません、今はほとんど飛んでいない感じです。

帰国して暫く立ってからTAMが Varig に代わってスターアライアンスのメンバーになったと知りました。時代は変わりますね。


2009年4月17日金曜日

Oi Paulistano! #38

Guarulhos市街_#03 - 何に使うのかな?

ホテルの正面に画材やデコレーション材料を扱っている店がありました。店内を見ていると女性スタッフに英語で話しかけられました。絵の具や額縁など扱っている品物を説明してもらいました。店舗が広いだけあって貧弱な品揃えではありませんでした。

木の板をジグソウで切り出した1種のテンプレートが天井ダクトから吊られています。面の塗装の型抜きに使うのか、それともそのものを加工してデコレーションにするのかが判りませんが大きさも種類もいろいろありました。


中央に提げられているのは「キティ」ですね :-o どう見ても。

街を歩いてみるとこの木製の「テンプレート」を扱っているお店が他にもいくつかありました 。この辺りの特産品なのでしょうか。


2009年4月16日木曜日

Oi Paulistano! #37

Guarulhos市街_#02 - 賑わう街角

遅い朝食もそこそこに街に出てみました。やはり坂が多いですね。1区画先に小さな商店がぎっしり並んでいました。どこの商店もヨソユキの装飾は施していません。鞄や布地のような単品が店先に目立つ店舗もありますし、「なんでもありますよ(←私の表現がオオゲサ)」みたいな商店もありました。



乗用車に混じって市営(?)バスも細い道を走っています。一方通行がほとんどです。小さな停留所のターミナルには若い男女(高校生かな?)が大勢並んで行き先のバスを待っていました。とにかく人が沢山いて活気に溢れています。

通りの向こう側に、若い高校生くらいの女性が2人でスローガンを書いた大きな旗(労働組合旗でしょうか)を持って商店の人たちに声をかけて歩いていました。とっても気になりましたが、信号待ちの間にアッチに行かれてしまいました。


Oi Paulistano! #36

Guarulhos市街_#01

夜も遅くなっていました。いったん市街の中央まで戻っても商店は閉まっていますし、明日また空港まで移動するのも面倒なので近くのホテルに投宿しました。空港シャトルバスで15分ほどのところです。地図を開いてみると、その辺りはグアリューロス市らしく、でサンパウロ市とは別の行政区画だと判りました。サンパウロ州で2番目に大きな市なのだそうです。

部屋の窓から外を眺めるとサンパウロの中心街とはずいぶん趣が違いますね。あちらが「仕事に通う街」だとするとここは「住んで暮らす街」なのでしょう。

人声は聞こえませんが、夜中も近いと言うのにあちらこちらから物音が聞こえます。誰かが遅くまで槌を打っていました。暗い街並に窓の赤い明かりがところどころに灯っていて、時おり走り抜けて行く車の音が聞こえていました。

そう言えば、窓を開け放っているのでしょう、大音響で音楽をかけてしばらく行ったり来たりしている車がいました。最近の日本はどうだったっけ、とふと思いました。

朝早く窓から覗いた街の風景です↓




2009年4月15日水曜日

Oi Paulistano! #35

あわや大失敗 - 後編

セキュリティーチェックを済ませてカウンタ前に行くととても感じのいい女性チーフスタッフがいました。パスポートを見せて便名を告げ、手荷物の中身が問題ない事を説明をして、さてと言う事でカウンタに案内されました。

カウンタの中の若い男性スタッフが私のEチケットのデータを入力して、彼女に何やら伝えると、しばし2人で何事か話しています。私は「あれぃ、何か問題でも‥?」と様子をうかがっていました。

ちょっと間を置いて「貴方はこの飛行機に乗れない」と彼女が言いました。「何で?」と誰でも訊き返しますよね。カウンタの中のスタッフは「マネージャーに相談してくる」とダッシュで奥に消えました。

すると彼女は私を振り返り、「これは明日のフライトのチケットなの」と決定的な事実を告げたのでした :-O

そうでしたぁ! 私は1日は1日早く業務を完了した事を忘れていたのでした←凄く重要なのに!!
若いスタッフがカウンタに戻ってきました。結論は「マネージャーに訊いたのだけれど今日は空席はありません」。やはり!でした :'-O 

「私のミスだから仕方がないね」と彼女に言うと「けっこうあるのよ。See You Tomorrow !」と微笑まれてしまいました。1日早かったから致命的な失敗になりませんでした。逆だったら大変でした。


2009年4月14日火曜日

Oi Paulistano! #34

あわや大失敗 - 前編

諸事情があって予定より1日早く業務が完了しました←ここ重要です。

翌朝はゆっくりと荷造りをしてからもう一度散歩にでたりして過ごしました。帰りの飛行機は深夜に近い離陸なので、遅い夕方までに空港に着いていれば安心でした。よほどの事がない限りトラブルもないでしょうから気持ちに余裕がありました。

暗くなりかかった頃に空港に到着。土産物店をひととおり眺めて回った後も時間はたっぷりあるので、雑誌を読んだりTVのオリンピック中継をぼんやり眺めたりしていました。ベンチに腰をかけてラップトップを開いている人がたくさんいます。どの人も建物の柱に設けられているコンセントにプラグを挿して電源をとり、ネット回線にはWiFiでアクセスしていました。



さて、夜も21:00hを過ぎて私のアトランタ行きの便のカウンターが開きました。


2009年4月13日月曜日

Oi Paulistano! #33

ÁguaMineral - ミネラルウォーター

出張で来ているので、"お約束"と言う事で「生水」は飲みませんでした。
ホテルの部屋にあった「minalba」が飲料水のメジャーブランドらしく、街の多くの売店でも売られていました。

左側のオレンジのパッケージが「Gas入り」、右のブルーが「Gas無し」です。



「Gas入り」がマイナーでほとんど市場で見あたらないラテン系の国もありますが、少なくとも、ここサンパウロではどちらも飲まれている様です。「発泡系」が嫌いではない(むしろ好き)な私としてはありがたいです。


2009年4月12日日曜日

Oi Paulistano! #32

椰子の立ち姿

セー広場(Praça de Sé)には大きな椰子の木が並んでいました。


写真を撮ろうと思ってファインダーを覗くと椰子の木の根元に近いところがなんだかヘンなので、少し移動して他のアングルで覗いてみました。ところが他の椰子の木でも根元のすぐ上がやはり絞られた様に細くなっています。気をつけて見てみるとどの木もそうなのです :-o

コカコーラのボトルみたいなフォルムですよね。

場所を移動してみましたが、同じです。うーむぅ、椰子の木ってこう言うものなのか‥。それとも何らかの意図で人工的に幹を固定した形跡が残っているのか。例えばある程度の高さまでまっすぐ伸びる様にとか‥。





遠足か社会見学か、先生に引率された子供達です。ここの椰子もコカコーラのプロポーションです。

私は植物にはサッパリなのでこれまで気をつけてみた事がありませんでした。帰国してから調べてみたら、あのフォルムはあり得るらしいです。Wikiの単子葉植物では「ヤシ、センネンボク(ドラセナ)などの樹木では、材の構造が双子葉植物などのそれと、かなり異なっており、維管束が散在する「不斉中心柱」をつくる。」とありましたが、意味を知らない言葉が多すぎてぼんやりとしかイメージできていません。


2009年4月7日火曜日

Oi Paulistano! #31

ホベルト・カルロスったぁ俺の事かとロベルト・カルロス言い :-)


出かける前にちょっとだけ調べたらブラジルのポルトガル語では「"R"で始まる単語は"H"音で発音される」と書かれていてホントかなぁと思っていました。

確かにサンパウロに着いてみると「Rua(=Street)」からしてそう聞こえるのでした。ただ、どうも日本語発音の「ハピフヘホのH音」ではありません。「R音」もいわゆるベランメーの巻き舌ではなくて激しくはないのですが喉の奥で出している音みたいです。

仕事の途中に「ここ、調整して欲しい」と言う意味で「regular(=regulate)」と言ったらけっこうウケて、発音を直されました。繰り返し直されて、出来ていないのは唇のカタチや舌の位置ではなく「振動の起こし方」ではないかと思えてきました。違うなりに最初より多少マシになったかも知れません(もう忘れてますけど)。

憶測ですが「R音」が語頭に来た場合、喉の奥から弱い振動(口蓋垂振動)で発音すると「H音」に近く聞こえるのではないでしょうか。少なくとも頭の中で「R」を「H」に置き換えて発音しているのではないと思うのですが、さて、どうなんでしょう。


2009年4月4日土曜日

Oi Paulistano! #30

街頭集会

中心街の大きな本屋の前で集会が行われていました。警察も来ていましたが緊張感みなぎる集会ではありません。



横断幕に書かれていた「Salário」と「Qualidade」がそれぞれ「給料」と「質」を意味しているのだろうなと思って暫く見ていました。人だかりの中央では寸劇が演じられていました。

帰国してから調べてみると:
Mais Salário, Mais Bancários, Melhor Qualidade de Vida.

More Pay, More Banks, Better Quality of Life.

と言う事らしいです。が「More Banks (しかも@が含まれてます)」ってどういう事なのでしょう。街中では圧倒的にITAU銀行が多かったです。他にも大手銀行がある様なのですが全体像が見えません。金融機関への規制が多いから改善しろ!、って意味なのでしょうか - 憶測ですけど‥。


2009年3月30日月曜日

Oi Paulistano! #29

出版事情

サンパウロのグアルーリョス空港(Guarulhos)に着いてすぐ辞書と市内の地図を買いに本屋に入りました。雑誌の種類も各分野にわたって多そうでしたし、書籍も多種多量に並んでしました。

滞在中に中心街でも本屋を見かけました。書架が天井まで届く、ライブラリーの様な立派な店づくりの本屋でした。大学が近いからかもも知れませんがそうとうな品数が揃っていそうでした。あちらにもこちらに有って、ちょこちょこと入って立ち読みでもして時間をつぶそう、なんて存在では無さそうです。

街に多くある新聞スタンドには新聞に並んで雑誌や読み物が何種類も並んでいました。

ポルトガル語の出版物がこれだけ出ているとは思いませんでした。とんでもない認識不足でした。帰国してから調べてみたら、ブラジルだけでも1億8000万くらいの人口があるのです。ポルトガル本国や旧植民地を加えると2億人近い人が母語としてポルトガル語を使っているのだそうです :-O

識字率だって決して低くはありませんから巨大なマーケットです。


2009年3月28日土曜日

Oi Paulistano! #28

Computer事情 #02 - KeyBoard

ホテルの部屋にはLANが来ていませんが、1Fのオフィスサービスのスペースが有ってそこに数台のPCが並んでいました。たまたま人の良さそうなオジさんが画面に向かっていたので、ちょっと離れて見るともなく眺めていました。ポルトガル語は読めなくてもアイコンは共通ですからたぶん問題なく操作できそうでした。使ってもWebブラウザを開いてWebメイルにアクセスするだけですから‥。

ポルトガル語のキー配列はいざ使うとなると大切なのでチェックしました。ちょっとこれはぁ!と思う様な配列の国もあるのです。これも大丈夫そうでした。

使用料や借りる手順を尋ねようと思いましたがレセプションカウンタが混んでいて、そのまま判らず終いになりました。


2009年3月27日金曜日

Oi Paulistano! #27

Computer事情 #01 - 路上観察

荷物が重いので、いつもの様にラップトップは持っていきませんでした。メイルのチェックくらいならホテルでもできるだろうと思っていましたが、それすらしませんでした。緊急事態なら電話が入るでしょう :-)

街の電気店をいくつか覗いてみました。専門店もあるかも知れませんが行きあたりませんでした。想像の通りWinオンリーです。雑誌を置いているスタンドも見ましたがMacやLinux関連の出版物は見かけませんでした。

ハードは日本を除く東アジア勢が席巻しています。輸入品なのでしょう、なかなか割高なお値段です。PCはどのくらい浸透しているのでしょう。読めないながらも雑誌を1册買おうと思いながら、結局は忘れてしまいました。雑誌の記事や広告があればインフラを含めた全体の雰囲気が判ると思ったのですが‥。


2009年3月26日木曜日

Oi Paulistano! #26

サンパウロの車たち #03 - あれこれ散漫に

VWは早くからブラジルに進出しただけに浸透しているみたいでした。乗用車ばかりでなく、小型の商用車はもちろんのことドイツでは見かけた事のない様な大型のトラックやバスも走っていました。VWとは関係も深そうなスウェーデンのScaniaもブラジルに進出していますから、そんな事情もあるのかもしれません。Flex車もありますね。Golと言うモデルを幾台か見かけました。
















ひと昔まえの Citroën ZX(?) フランス勢はやや劣勢か↑


日本車は少ないです。空港の発着ターミナル前にTOYOTAのCorollaともう少し大きいモデルが停まっていました。「Flex仕様」かどうかは未確認です。HONDAもときどき走ってますね。Fitには「Flex仕様」がありました。見かけた1台はタクシーで「おおう :-o」と思いましたよ。SUBARUのLEGACYが仕事先に停まっていました。輸入車だとしたらもの凄く高かったんだろうなあ、と唸りました。

助手席に乗って市街を走り、ガソリンスタンドも幾度か見かけました。「ガソリン」と「バイオ燃料」の給油機が共存していました。「バイオ燃料」の方がずいぶん安かった印象があります。記録は取れず、記憶もトンでしまいましたが :'-/

1ボックスヴァンや小型のトラックは韓国の KIA と HYUNDAI の新しいモデルが目につきました。どちらもブラジルに生産拠点をもっているのでしょうね。乗用車も走っているのかも知れませんが、韓国系の乗用車モデルに疎いので判りません。

市街中央には多数のバイクが走り回っていました。HONDAをはじめ日本ブランド(ブラジル国産)が圧倒的でした。殆どが「バイク便」ライダーなのだそうです。


2009年3月25日水曜日

Oi Paulistano! #25

サンパウロの車たち #02 - ブラジル国内生産車

短い滞在期間のあいだ大型の乗用車は見かけませんでした。MercedesとBMWはきわめて少なそうです

ブラジル生産している欧州ブランドのモデルばかりです。GMのエンブレムを付けたドイツOPELのモデルもたくさん走っています。
















↑OPEL Zafira 同形車
CHEVROLET(GM) のエンブレムが付いてます

イタリア本国でも好調とは言えないFIATがそこそこ走っていました。FIATのピックアップトラップなんてのがあるんですね :-o

















↑パトカーもFIATでした

輸入関税がベラボウに高いので、メジャーな世界ブランドは揃ってブラジル国内で生産工場を持っている感じでした。



2009年3月21日土曜日

Oi Paulistano! #24

サンパウロの車たち #01 - フレックス燃料車はいづこ?

ブラジルの「バイオ燃料車」の話題もあちこちで取り上げられていました。たまたま、出かける暫く前にTVで特集番組を見かけました。

番組では「いたる所にバイオ燃料乗用車 "フレックス乗用車" が走っている。従来のガソリンでもバイオ燃料でも走行できる事ができて、そうした車には "Flex" のエンブレムが付けられている」 と報じてました。そんなに早く普及しているんだろうか、と興味がわきました。

さて、サンパウロに到着。空港タクシーの列の中には「Flex車」は見あたりませんでした。タクシーで市街を走るうちに1台目を見つけました。シトロエンの小型車(C3かな?)のリアに「Flex」のエンブレムが付いていました。30分位の間にもう1台、こちらはVWの小型車でした。

もちろん見落としはあるでしょう。でも、新車ばかりが走り回っているなんて事はありませんよね。年季の入った車両もそこそこ走っています。


↑懐かしいVWバス。後期型ですがあちこちで見かけました :-)


2009年3月19日木曜日

Oi Paulistano! #23

うわぁ、商店が閉まってる!

関係セクションに顔を出して仕事の段取りにミスや勘違いがない事を確認している間に夕方が近くなってきました。初日ですし早々に地下鉄の駅に戻ってホテルに帰る事にしました。夕方のラッシュアワーも避けたかったのです。

セー広場(Praça de Sé)の売店で読めそうな新聞や雑誌を捜したりウロウロしているうちに06時半をまわった様です。さて、どこかの軽食店のカウンタで食料とビールを仕込んで帰ろうと思い、広場の周りの店を見たら吃驚しました。あらかたの店が「閉店」でシャッターを下ろしていたのです。

ちょうど下ろしかけた店に駆け寄ってオジさんに「ビール売ってください」と頼んだのですが、何事か説明されて(レジを締めたからとかなんかでしょう)「明日ね=(mañana) :-)」と言われてしまいました。万事窮す、です。

帰国してからポルトガル語で「明日」は「=mañana」では無かった事に気がつきました。私が外国人だからそう言ったのか、どうしてなのか不思議です。

地元の人に訊いてみると中心街は「閉まるのが早い」のだそうです。知らなかったぁ :-O


2009年3月15日日曜日

Oi Paulistano! #22

坂の街 - 行きつ戻りつ

地下鉄を降りたもののさてどの出口から出たら良いものか、もうここからして右往左往でした。

出発前に地図検索で主要な通りの名称やおおよその距離は調べて行きました。駅に隣接して長距離バスの巨大なターミナルがあるのが判っていたので、先ずそれを捜します。地上に出て早々方向を間違えましたが長距離バスに乗りそうな(であろう)人たちの波についてしばらく行くと無事ターミナルまでは着きました。

道の向こう側に警察官を見つけたので彼らに訊く事にしました。プリントアウトしてきた地図を見せて目的地の名前を連呼しながら「外国語」で話しかけて来たら、旅行者が道を尋ねているのは世界共通ですから「こっち(身振り)行って"ナントカ通り"を右(身振り)、そしてまっすぐ(身振り)」と親切に教えてもらえました。

サンパウロは極端な凹凸は少ないものの起伏の多い街なんですね。この事はの中心街でも感じていました。さて最初の角を曲がってマッスグまでは良かったものの、言われた次の目標となる通りまでどのくらい歩くのかが判りません。こう言うのってなんとなく不安になりますよね。

ゆるやかな長い下り坂でした。ケナすつもりはありませんが歩道がそうとう悪いです。それぞれの家の目の前の歩道は各自が思い思いに整備するらしく、舗装もタイル仕上げから石板、アスファルトまで様々で、高さもそこそこ違っていました。

この日は殆どの荷物はホテルに置いて、パイロットバッグだけを提げてきました。ラッキーでした、キャスターの付いたケースだったら難渋したでしょう。

通勤に出る人達は既にその辺を歩いている時間帯では無く、なかなか人に出会いません。たまたま庭に出ていたおじさんや幼稚園から出て来た奥さんにさっきの調子で教えて貰いながら、どうにか目的地に辿り着いた時には小1時間経って、霧雨が降り始めていました。

直線にすれば2Km半くらいですからコンなもんでしょう。今日は「下打ち合わせ」くらいなので幾分オキラクです。初めての帰り途は風景の見え方が違うのでサカサカとは行かないでしょう。でも、明日からはもう時間も読めたので気が楽になりました。


2009年3月12日木曜日

Oi Paulistano! #21

通勤ラッシュ!

目的地が終点なのでホームもすぐに判りました。大きな駅では降車側のドアと乗車側のドアが車両の反対側なのは下調べをして知っていました。階段を下りるともの凄い人です。

パイプ式のガイドレールで仕切られた枡ごとに見事なくらい並んで乗車側のドアが開くのを待っている所でした。ドアが開くと一斉に乗り込むのですが、オシ合いヘシ合いと言うほどでもなく順番も崩れません。ある程度の人が乗り込んで「この辺で限界っ!」となると先頭の人はそれ以上無理をしません。列の後に続く人も押したりしないので整然としたものです。

電車は次々にやってきます。通勤時には2分間隔、それ以外は3分間隔だと聞きました。

3度目に入ってきた電車にようやく乗れました。いやぁ、ぎっしり混んでいます。その日はカメラは持たず、書類の鞄だけを下げていましたが、人に押されてどこかあるのか判らないくらいでした。勢いで持っていかれた腕がなんとなくどこかの女性のお尻の辺りの様な気がしたのですが押す事も引っ張る事もできません。どの人か見てみるなんて不可能な乗車密度でした。かつての国電の混雑ぶりに匹敵しますね。

日本の通勤時には女性専用車両があるんだよ、なんて言ったら呆れられる勢いでしたね。


2009年3月11日水曜日

Oi Paulistano! #20

地下鉄に乗らなくちゃ

大勢の人が地下鉄の駅に向かって歩いています。どの人も足早です。エスカレータを下ると駅のコンコースです。殆どの人は通勤客なのでしょう、切符販売の窓口には大して人は並んでいませんでした。


【参照元】

私のこれから数日の移動ルートは Blue-Line が Red-Line と交差する「Sé」から Blue-Line の南の終着駅「Jabaquara」までの往復です。

昨晩ニワカ仕込したアヤしいポルトガル語を手帳に書いたのを見せながら「Uma passagem de ida e volta ao Jabaquara, por favor.("Jabaquara"までの往復切符を下さい、の意のつもり)」と言ったら片道券らしき Uniário を2枚渡されました。おそらく均一料金だろうと思って 2 X R$2.40= R$4.80 を用意していて、その金額を出したらOkayでした。


2009年3月7日土曜日

Oi Paulistano! #19

再開します

昨年11月の半ば過ぎからずいぶん長く休んでしまいました。

8月のサンパウロへの出張から戻って、9月後半はドイツでした。11月から始まったUSの仕事がようやく終了して先日戻りました。書きたい事もたくさんあったのですが、先ずはもう少しブラジルの稿を進めて次に進もうと思ってます。