2008年11月17日月曜日

Oi Paulistano! #18

さあいくよ!

早い暮れ時から雨が降ったので結局ホテルの部屋で過ごしました。殆どの人が大きな傘をさして夕暮れの街を行き交っていました。書類の確認とポルトガル語のニワカ勉強をしてオトナしくしていました。

朝になりました。曇っていますが薄暗くはありませんでした。8時少し過ぎに、気持ちだけ早めにホテルを出て、地下鉄の「Sé」駅に向かいました。歩く距離は「Anhangabaú」に向かう方がちょっとだけ近いのですが、私の目的地「Jabaquara」へはどのみち「Sé」で乗り換えなければならないので、こちらの方が楽かなと思ったのです。


続きます :-)


2008年11月14日金曜日

Oi Paulistano! #17

さぁて仕事しなくちゃ


ホテルのある通り(Rue Libero Badaró)までちょっとだけ遠回りをしながら戻ってきました。地下鉄の駅も判りました。運賃も判りましたから明日の朝は何とかなるでしょう。何事も初めがあるのですから :-)

途中で缶ビール(多めに)と、チョコレートとチップス(多少)買ってきたので、このまま明日まで外出しなくても困りません。朝食もいつになくしっかり食べましたし‥。

部屋に戻るとサンサンと陽が射し込んでいました。今日は確かに好天ですけど、これで「真冬」なんですねぇ。ちよっと吃驚です。



2008年11月13日木曜日

Oi Paulistano! #16

周辺散策 #05 - 帰り途

明日からの仕事の準備もしなければならないのでホテルに戻る事にしました。どこかでビールくらいは買えるでしょう。

ホテルの部屋からも見える↓市立劇場(=Theatro Municipal)です。




陸橋(=Santa Ifigênia Overpass)↓が見えました。ちょっと霞んでますね。茶のプランテーションが盛んだった時代に通行料を取って人を渡したのだそうです。



2008年11月12日水曜日

Oi Paulistano! #15

周辺散策 #04 - ブラウン管TV

Shopping "Light" の地下1階には家電店がありました。

ブラジルは世界でも珍しく日本式のデジタル・ハイビジョン規格を採用するらしいのでTVにはちょっと興味がありました。液晶TVに並んでブラウン管式のTVもまだ売られているんですね。日本ではデジタルになったらブラウン管は使えないとでも言うような勢いで液晶TV販売にリキをいれていますけど、本当は電波の形式と表示の方法は違うテーマなんですよね。

メーカー名は「SEMP」と書かれていてました。東芝との合弁みたいです。

SEMP TOSHIBAのサイトです。画面左側の「TV(10 a 34")」の部分をクリックするとブラウン管式のモデルが並んでいます。


Oi Paulistano! #14

周辺散策 #03 - さて両替


来た道筋を戻りながら両替が出来そうな場所を探します。

トロリーバスが走っていた大きな通り(Viaduto do Chá)の手前にShopping "Light"と言うショッピングモールがありました。そこにならあるかも知れません。



窓々に赤い日除けがついている右手の建物↑が Shopping "Light"です。

地上階はカフェと衣類を扱っている店舗だけの様なのでエスカレータで上の階に上がりました。何階か上がると目の前に「両替(=Cambio)」の看板が出ていました。

早速カウンタでUSドルを出してレアルへの両替を頼むと、先ずパスポートの提示を求められました。パスポートを持ち歩く事は滅多にしないのですが、今回のブラジルでは念のためと思って「顔写真とID」が記載されたページと「ブラジル滞在ヴィザ」のページだけはコピーを持って歩いていたので問題なく換金できて助かりました。

08月07日時点のレートで US$ =1.534 R$でした。


2008年11月10日月曜日

Oi Paulistano! #13

周辺散策 #02 - mini観光



地下鉄のAnhangabaúの駅の脇の短い坂を上ると「坂の記念碑(=Ladeira da Memória)」がありました。なんでこれが名所なのかな、と思うくらいのこじんまりした記念碑です。

"かつては住民と旅行者に水を供給した場所にあったものが現在ではここに立っている"のだそうです :-o

帰国してからSaõ Paulo が水源を後背地にもたない都市だと知りました。

この場所がズバリでは無いにしてもかつての「水の供給源」に縁があるらしい、と知っていればもう少し見方が違ったかも知れません。


2008年11月6日木曜日

Oi Paulistano! #12

周辺散策 #01 - 公衆電話



地下鉄の乗り方も判ったので次は両替できる所を捜しました。現金がほとんど無いのです。駅の直ぐ近くには無さそうなので散策がてら少し歩いてみます。

空港でも見かけましたが街中でも公衆電話はあちこちにありました。翌日からは連日スタッフと一緒にいたので実際に電話をかける用事はあまりありませんでしたが、いちいちCellularからローミング(GSM)して電話をかけなくて済むのはありがたいです。



2008年11月3日月曜日

Oi Paulistano! #11c

Metrô Anhangabaú



構内は赤と濃い青をベースに白と黒の文字で統一感のあるきれいなデザインです。左手に券売カウンタがありました。順番を並ぶ順路が決められていて誰もが並んで切符を買っています。



切符を買ってみるまでは判りませんが運賃は均一らしいと判りました(実際にそうでした)。料金表の上から:
Uniário(片道かな)R$2.40 / Metrô-Ônibus(バスとのセット券)R$4.10 / Metrô-EMTU(広域都市交通券)R$4.50 と言う事らしいです。上記料金は2008年08月現在です。



乗車券を入れて通行を遮断しているバーを押すとそのバーが回転する機械式の自動改札です。チケットはここで回収されてしまうので目的地では出場用改札機のバーを押すだけで出られます。

ペレが大きく写った大きなポスターが目立っていました。ポルトガル語が読めないのが哀しい :'-(


2008年11月1日土曜日

Oi Paulistano! #11b

Metrô Anhangabaú



地下鉄の駅入り口にMetrôのマークと駅名を表示する標識が立っているので間違いありません。遅い午前ですがこの辺りはどこも人通りが多くて活気があります。

通りを左に折れるとそこからはエスカレーターと階段が下に続いていました。

降りきるとまた先の通りよりも低い外の通りにで一旦外に出てしまいます。左手に自治体庁舎の反対側の面が見えていました。


そして、そこから右手にUターンするとメトロの改札が有りました。






【追記】Nov 03 2008
この辺りの空撮画像を見つけました(Shift+Clickで別ウィンドウが開きます)。

画面中央のブルーの広場(=ヘリポート)が自治体庁舎です。この左手の通りを画面左下の方向に進んでビルの谷間を右側に折れます。やはり黒っぽいビルの右隣の緑地の下が下に降りるエスカレータと階段が有る場所に成ります。

画面上のやや右寄りの緑地が「Sé」だろうと思います。大聖堂(Catedral Metropolitana)の尖塔とドームが顔をのぞかせています。


Oi Paulistano! #11a

Metrô Anhangabaú

Mappa Central を見ながら駅を捜しますが、微妙に地形と方角がピンと来ないのです。どうやら自治体庁舎をランドマークの1つとして大きく描いてあるので Anhangabaú との位置関係が合わないようだと気がつきました。

そこで「ザヴィエル・デ・トレド通」(Rue Cel.Xavier de Toledo)を先ず見つけて角を左の折れると程なく見つかりました。




2008年10月1日水曜日

Oi Paulistano ! #10

Fascist Style

昨日の宿題になっていたもう1つの地下鉄駅「Anhangabaú」の場所を確認に出かけました。お天気も上々で人通りも盛んです。

道路の反対側に渡って自治体庁舎(Prefeitur Municipal)をふり振り返ってみました。窓も異様に大きくて、まあ威圧感タップリな佇まいです。背景に私の泊まっているホテルが見えます。なるほど屋上は私の宿泊階とドンピシャ同じ高さですね。



空港で貰った「市内地図=Mappa Central」には、1930年代終わりにイタリア人の建築家によって立てられた典型的な「Fascist Style」で往事の「Matarazzo」財閥の本拠だった。とありました。ファシスト様式ってこう言うものだったのですねー :-o

通りにはトロリーバスも乗用車も、小型のトラックも行き交っています。バイクも多いです。


2008年9月30日火曜日

Oi Paulistano ! #09

西瓜から日本のユクスエを考察する

さて朝を迎え、珍しく朝食を摂りに最上階のホールに出かけました。パンやハムの種類が豊富です。暖かい卵料理も有りますね。さすがに安宿ではないのでコンチネンタルな朝食ではあまり見かけないくらい豪華なメニューでした。

辺りを見回すとフルーツを食べている人が殆どです。私も Fruit Punch と西瓜を少し取ってきました。どちらもベタベタと甘く有りません。生ジュースもそうですがちょっと独特のアクが後味に残ります :-o

朝から西瓜を食べた事は有りませんでしたが悪く無いですね。味は西瓜の皮に近い部分の様にサッパリとして瑞々しい味です。考えてみると日本の果物もかつてはヘンに甘いだけではなかったなぁ、と思いました。

日本の産品って何であれ少しでも競合品との差別化を図ろうとイジクリまわして「原型」を損なって行くものが多い気がしませんか。苺なんてお化けみたいに大きくなって「苺の様な唇」なんて言おうものなら意味が通じかねなくなってますもんね。

工業製品にしても新規な付加価値を追加するのにキュウキュウとして、製品本来の価値がどこにあったのか判らなくなり、結局はシェアを漸減させるスパイラルに落ち込んで行く印象が有ります。日本の社会がここから抜けるには相当な痛みと時間を覚悟しなくて葉なら無いのだろうなぁ、と思いながら食べた朝の西瓜でした :-9


2008年9月29日月曜日

Oi Paulistano ! #08

長い夜(続)?

10日ほど出張にでていました。またまた更新が遅れています。

泊まっていた階がちょうど「Prefeitura Municipal」の屋上階と同じ高さで、その頭上に回転灯を点けたヘリコプタが浮かんでいるのが見えました。みるみる下降して来て半回転するかと思うと目の前に着陸してしまいました :-o

窓を開けると強烈な爆音です。機体に駆け寄る人影が見えます。こんな街の中心部で交通量も多いところに日常的にヘリコプタが発着しているとは思いませんでした。夜も遅いのに吃驚です。



こんなに近くでヘリの着陸を観た事は有りません。しかもホテルの部屋に居ながらにして‥。眠気か飛んでしまったのでもう1本ビールを空け、書類の整理やポルトガル語のにわか勉強などを始めました。

そんな事をしているうちに日付も変わり BBC News を観ながらごそごそやっていると、ボンと電気が消えました。あれ、また停電です。窓の外の建物には灯りが見えるのでホテル自体の配電トラブルでしょう。暗闇で煙草を吸ったりして暫く待っていましたがどうも短時間では回復しそうでもないのでヤムナク寝る事にしました。

翌朝は停電から回復して流れ出したBBCの放送で目が覚めました :-)


2008年9月6日土曜日

Oi Paulistano ! #07

長い夜?

変な時間に眠ってしまったので日付も変わらない前に目が覚めました。時差と寒さと時おり窓の外から聞こえてくる強烈な爆音のせいもあったでしょう。

到着するなり窓辺の造りが「耐寒」を考慮していない事はすぐに判りました。ブラジルの8月は本来「真冬」なのに日中はジャケットは邪魔になるくらいの気温に成りそうです。だったら当然ですね。アルプスから南のイタリアやスペインで冬にホテルに泊まるとトンデモに寒い。それと同じです。


窓の造りも似ています。
窓の面積全体は天井に埋め込まれたヨロイ戸(Jalousie)でカバーされる様になっていて、壁に埋め込まれたベルトを引き下げたり戻したりして位置が固定できます。左右のガラス引き戸部分の上、日本式に言えばランマに当たる部分、はレバーで手前に開閉する仕組のガラス窓に成っています。欧州とは違うなぁ、と思った造りも有りましたが基本は同じでしょう。

窓の下には壁をくりぬいて一体型のクーラーがドンと屋外に向けて設置されています。外気の遮断は神経質に考えないでパワーで部屋を冷やしてしまおう、と言うUSアメリカン(?)な設備でした。


私は「Smoking Cures Cancer」を信奉する喫煙者なので、ホテルの窓はよほどの事がなければ煙り抜きに少し開けて寝ます。これも「寒い」原因なのは知っています。鞄からNATO軍のセーターを出して着ました。急場の寒さしのぎです。

そうこうしていると再び強烈なエンジンの爆音が近づいて来ました。カーテンを開けて外を見たらいささかギョッとしましたね。


2008年9月5日金曜日

Oi Paulistano ! #06

読める言葉と聞きたい言葉

セー広場(Praça de Sé)から宿泊先の区画をぐるりと廻り、雑誌と新聞を置いているスタンドを捜してみました。ポルトガル語以外の出版物がないのです。滞在ほぼ終わりに英字紙を置いているスタンドを見つけました。大学も近いので地域によって差はあるのかとも思います。

ともあれ私はビールを呑みながら読めればと思っていた新聞か雑誌は手に入りませんでした。考えてみればホテルのロビーにも英字紙は見かけませんでした。

部屋にはケーブルTVが入っていました。英語の放送は(そのホテルでは)「BBC」だけでした。ロシアとグルジアが戦闘状態に入っているみたいです。ビルマで「住民蜂起か!」とも聞いたのですが、続報は聞いていません。どうなったのでしょう。

ポルトガル語の放送も聞きたくて、ドラマやバラエティの放送を流したままにしているうちにウトウトしてきました。言葉の「音」が頭の奥に響いていました。

考えてみれば、昔は欧州でも「外国語の放送」は一般的ではありませんでした。でも何とかなったのです。

ホテルの部屋や移動中の車でラヂオを聞いていて、何日か経つと何について話しているのかの見当が点くものがでて来た気がします。加えてその国のヒット曲なんかを聴くのも大きな楽しみでした。

日本と同じ様な「電話リクエスト」も有って、あー、こうしたアクセントでこんな「声」でこの国の人は話すのだなぁ、と面白かったでです - どの国でも内容はダイタイ同じですもん。

この類いのラヂオを聞きたければ今ならどこにいても「NetRadio」で聴けますが、その国に行くと却ってラヂオを聞くチャンスが限られます。「グローバル化」って何なのでしょうね。

窓の外では大粒の雨がスコールの様に降り始めました。忘れた頃に強烈なエンジン音が響いていました。寒いです。


2008年8月28日木曜日

Oi Paulistano ! #05

セー広場(Praça de Sé)

思いのほか早くセー広場(Praça de Sé)に着きました。




サンパウロ(São Paulo)の中心部ですね。賑わっています。土産物(?)スタンドもたくさん有ります。絵はがきや新聞雑誌、ガム類の菓子、携帯電話のストラップ(MotorolaなんてLogoが書いてあるからきっとそうでしょ)、ピンバッチ、他いろいろな商品が並んでしました。音楽プレイヤー用のイヤフォーンなんてのも有りましたね。

広場を囲んでは宝飾品のショップや、それこ軽食を提供するショップも軒並みに並んでいます。南欧で見かける通りから中まで素通しの理髪店も有りました。散髪した直後の「貴方の男前を撮りませんか」ってサービスなのでしょうか、撮影料金とプリントの大きさにに応じた値段表なんかも店先に出ています。

広場の半周は大きな道路が巡っていてロータリーと言ったところです。トロリーバスが多く走っています。子供の頃に東京にも走ってた怪しい記憶もあります【註1*】。東欧などの外貨獲得に苦しんでいる国にも多い様です。ブラジルも今は豊かになる過渡期なのかなぁ、とそんな気がしました。

【註1】確かに発展途上の国での利用も多いようですが、近年では欧米諸国で「再評価」の動きもあるようです。→Wikipedia:トロリーバス



地下鉄は大聖堂(Catedral Metropolitana)に続くアプローチに隣接して大きな地下駅に成っていました。構内は混んでいます。切符は数カ所の柱に設けられた「UNICO」と表示された、カード専用機なのでしょうか、その小型の販売機か、販売窓口のどちらかで買う様です。窓口にはけっこう人が並んでいました。

時間の余裕があるので(業務日程がなかなか決まらないので早めに来たのです)もう一つの路線の地下鉄駅の位置確認は次に回しました。

手近なジュースショップで缶ビールと炭酸水を買ってそろそろ帰る事にしました。ホテルでビールを呑みながら(miniBarの料金を浮かせたいと言うケチな根性です)新聞でも読んで一眠りしようかなと思っていました。

ところがここで「何か読む物」を求めて歩きまわるハメに陥ったのでした :'-(


2008年8月24日日曜日

Oi Paulistano ! #04

はじめの一歩

予感した通りドアが開きません。フロントとサービススタッフを呼びに行って、一旦シリンダーを外してからロック位置を決め直して貰いました。スタッフも手慣れてますねぇ。工具さえ有れば素人でも凌げそうなくらいのトラブルなのでアンマリ気にする事でもありません。

気を取り直して出かけます。
ホテルを出ると目の前に交番(?)が有ります。向こう側は自治体庁舎です。大きくて威風堂々としています。街で迷っても「Prefeitura Municipal」と繰り返して言えば誰かが教えてくれるでしょう。



ホテルの窓の視界からは隠れている右脇の通りはショッピング街(Direita通)で、このまま道なりに歩けば大聖堂(Catedral Metropolitana)のセー広場(Praça de Sé)に程なく出るはずです。

石畳の通りは車両通行禁止で歩行者は左右に広がって歩いていました。服飾店やテナントビル、スーパー等が並んでいます。高級店街と言うよりは普段着の買い物の商店街と言う趣でした。鞄屋さんが多いですねー。CDショップも数軒有ります。ギターなんかも天井から下がっています。PCやラジカセ(韓国・台湾勢が健闘)や日本製を含めたデジカメを扱う店も有りますが、やはり輸入品は結構なお値段ですね(輸入制限・輸出振興が国の政策らしいですから)。

軽食(ハンバーガーやホットドッグも有ります)や飲料を立ち食いで提供するジュースショップ(Loja de suco)もあちこちに店を開いていました。


これなら飲食に困る事は無いと安心しました。
でもこれは早トチリでした ●〜*


2008年8月22日金曜日

Oi Paulistano ! #03

まずは投宿

予約していたホテルへは地図で想定していた方向とは違った方角から到着しました。後で街を歩いて位置関係を確かめるとけっこうハズしていました。バスと地下鉄を乗り継いで来ていたら荷物を持ったままウロウロしたかも知れません。

20階を越すなかなか大きなホテルです。確かに古いが格式は有りそうです。

レセプションでチェックインを済ませます。まだ早い時間帯なので待たされるかなとも思っていたらあっさりオッケイになりました。旅行者の管理は厳しいそうな国ですがパスポートとビザの確認は有りませんでした。英語は前評判通り通じませんね。まあ日本と同じだと思えば気にもなりませんよ(ただし出来る人はスゴク出来ます - あの層は日本人には少ないです)。


16階の表通りに面した部屋に案内され、ようやく荷物を置いて、窓を明けるとの階下から街の喧噪が昇って来ました。正面は大きく開いて町の様子がよく見えます。道を隔てた左隣は大きな建物で自治体庁舎(Prefeitura Municipal de São Paulo)でした。

一息ついて出かける事にしました。近場で飲食ができる場所や、ちょっとした必要品が買えそうな店、市内を移動する地下鉄の最寄駅(2駅ありそう)と切符の買い方などを見ておこうと言う事です。

パスポート+ビザのコピーと現金を少しだけ持って部屋を出ようとドアを閉めました。


ン!なんか変ですよ。


2008年8月21日木曜日

Oi Paulistano ! #02

さて市内に

タクシーで市内に向かいます。停電でコンピュータがダウンしてカード払いができず、仕方が無いので降車時に現金払いです←手持が乏しいので痛い :-(

グリューロス(Guarulhos)空港を出てしばらくするとあのF1のアイルトンセナの名前がついた高速があるので標識でも見かけるかな思っていましたが判りませんでした。

高速道路は車線も多いし路面も悪くありませんでした。結構スピードが出ます。暫く行くと左手に河川が見えて来ました。言われている様にきれいではありませんね。帰国してから調べたらティエテ(Tiete)川の様でした。前方には市内の高層街が現れて来ます。道路脇には所々にスラムらしき地域も有りますね。

朝のラッシュの時間なのでしょう、渋滞はしませんが混んでいました。中型のオートバイがワンサと走っています。クラクションを鳴らし放しにして次々に車の脇をすり抜けて行きます。パトカーも何台か、時々サイレン(これがゲームみたいな聞いた事のない珍しい音)を鳴らしてズンと追い抜いて行きました。

歩いている人の数が増えて来ました。中心街が近いのでしょう。

P.S.
サンパウロの川は海に向かってではなくて内陸に向かって流れているのだそうですね。帰って来てから調べて吃驚しました。知らなかったぁ :-o

【参照:環境共生型都市デザインの世界




2008年8月20日水曜日

Oi Paulistano ! #01

霧のSão Paulo

サンパウロへ出かけて来ました。春以来のブログ更新です。
Atlantaでトランジットしてビジネスビザで入国しました。さっそく煙草が吸える場所を見つけて(なーに、ビルの外に出るだけでした)数本吸ったらさすがに天井が廻りましたね。

朝7時過ぎ、あたりは霧(霞?)が立ちこめていました。数日いると、この季節の朝はどうやらこんな物らしいと判りました。



当座に必要な現金を両替して地図とポケット判の辞書を買って、さて空港バスの路線案内を見ましたが土地勘が無いからトンと判りませんでした。頭も朦朧としているし身体がフラフラしているので暫く迷いましたが結局タクシーを奢る事にしました :'-(

タクシーのサービスカウンターが有り市の中央部まで25KmほどでUS$で50くらいだと言うので、そこでチケットを購入し支払をしようとしたら到着ターミナルが突然停電に成りました。数分して一旦復旧し、また停電。数回これが繰り返され、その度にターミナルでは歓声(嬌声?)が挙ってました。停電モマタ楽シ、って感じかな。


2008年3月30日日曜日

Daylight Saving Time

3月も明日でおしまいだと言うのに寒い週末です。桜も随分咲いているのに‥。
西ヨーロッパは明日からはもう「夏時間」ですね。

モニタに表示されている世界時計を何気なく見てみるとUS時間との時差がナンカ変です。計算が合わないのです。「あれぃ、USの夏時間開始は4月の第1日曜でなかったっけ?」と思い調べてみました。

なんと!「2005年エネルギー政策法」によって去年から夏時間の期間が変わっていました :-O

現在は:
3月第2週目の日曜日(02:00h) 〜 11月第1週目の日曜日(02:00h) なんだそうです。

とっくに始まっていたのです。去年はまったく気がつきませんでした。:-p

2008年3月27日木曜日

Air-LAN

先年の暮れにウマシカ娘が使うと言うので初期のiMacの代替として無線LAN対応のMacBookが我が家にやってきました。そして今年になってから契約しているCATVがMACアドレスを打ち込まなくてもネットに繋がる様にシステムを変更をし、しばらくの間は勝手が違うので少々悩まされました。

ラップトップですから場所を移動しても近いLANポートから簡単にISPに繋がって欲しかったのですがCATVモデムをその度にリセットしなくてはならず、またそのタイミングがチト難しかったのです。

あれこれやってみて気づいたのは近隣に無防備な無線LANのネットワークがある事でした。単純にアクセスできてしまうのです  :-0

MacBook以外はMac/Winとも無線LAN対応で稼働していないので今まで気づきませんでした。

おそらく所有者も気がついていないでしょう。その気になって探せばどこの無線ルーターがゲートを開放しているのか判るはずです。が、ご近所だけに躊躇ってしまいました。

ある程度知識の有る人であれば問題点を指摘すれば理解してもらえるのでしょうが、相手がどんな人かは判りません。「家族のパソコンを覗いたな!」なんてあらぬ疑いをかけられては堪りません。まして、その話がワカランチンの間で拡大再生産されて「あの人、覗きをしているんだってよ(風呂かよ!)」なんて言われた日には「噂、千里を走る」状態になってしまいます。

無線LANは移動には確かにラクチンでしょう。でもちょいと不用意すぎませんか?

ラップトップ機でも多くの人がリチウム電池の特性を知らないで常時AC電源に接続しているのではないかと思います。だったらLANも有線でしたら、と要らぬ心配をしたりするのですが‥<大きなお世話ですね。


2008年3月9日日曜日

DualForStandards

次世代DVDの規格争いはバタバトと展開して決着がつきました。ビデオレコーダーの「β対VHS」の時より随分あっけなかった感じです :-o

ビデオ規格の折には「高機能」を謳ったベータが市場に支持される事が薄く、粘ったあげくの撤退でしたが、今回は「価格重視」(と言ってはいけないのかな)のHD-DVDが優勢を取れませんでした。市場の評価を予測するのは難しいのでしょうね。

東芝はベータ規格に続いて、これで2連敗だそうです。敗色が濃くなる程に威勢ばかりよくなって「必勝!」なんて言い出す輩が組織内に出てくる事が多いのが世の常の様な気がします。前回の敗戦処理のノウハウが有ったからこそ、この時期に「撤退」出来たのでしょうか<うがち過ぎですか。

そー言えば「国民機 PC-98」の降伏宣言ってありましたっけ。

2008年3月6日木曜日

CinqueCento@Japan

クルマ大好き、ではありませんが、ちっちゃくて小回りが利いてトコトコ走る雰囲気のクルマが好みです。

新しいFIAT500がとうとう日本でも正規ディーラーから発売に成り、03月15日に各ディーラーのショールームに並ぶのだそうです。2月の下旬の日付で公式サイトに出ていました :-0

最寄りのディーラーに電話をかけてみました。スペック等の載ったカタログは発売開始後に店頭での配布だそうです。しばらくは送ってもらえそうな感じでは有りませんでした。ローンチ時のでカラーは「白と赤と青」と聞きました。

先代の500とはまず排気量からして違います(1.24L)。どんな仕上がりに成っているのでしょう。試乗経験が有る友人によれば「Punto」のテイストだとか。気に入っても「じゃ明日買おう」なんてお金はそもそもありませんけど少々興味が有ります。

ショールームの近くを通ったら覗いて見ようかとも思うのですが、さて‥。

2008年3月5日水曜日

Air

AppleからMac Book Airが出ました。メディアでも採り上げられている様に、可能な限り外部の機器と「Wireless」で繋いで内蔵しなくてよい物は省く、と言う考え方の軽量ラップトップです。

ふと思ったのはのネーミングの事です。私も含めて「Air」と聞いて「ああ、無線って事かぁ」、とピンと来る人って日本には少ない気がしませんか。私なんぞは雑誌の記事を読みながら初めて「なるほどー」と思ったクチです :-O
それとも私がニブイのかな‥。

確かに日本語としても「オン・エア = 放送中」なんて普通に使いますね。「エア・チェック」何てのも聞く言葉です。普通に使っている英単語でもやっぱり判ってない事が多いなぁ、と思わされました。

2008年3月1日土曜日

StormyWinter

先年の秋から時間に逐われてブログに手が着きませんでした。2月初頭に現場も無事終了して帰国。まだ後始末が残っていますがハチャメチャ状態は脱したので再開しようと思います。

現場はラスベガスでした。暖かいだろうとナメてろくな防寒具を持っていかなかったので猛烈に寒かったです。陽射しは暖かいものの寒風が猛烈で堪りませんでした。

借りていたクルマの助手席から荷物を出そうとしていたらドアが風に煽られて勢いよく閉じ、肩口を後ろから痛打されたり、施設の天井から吊るサインを取り付けるクレーンリフトが強風のため予定どおりに工事できなかったり、とあれこれありました。

元来あそこは砂漠の中ですから砂埃が空を覆う時も有りました。乗っていたのはChryslerのSebringと言うクルマですが空港近くの遮蔽物が無い吹きさらしの道路ではハンドルを持っていかれそうで少々緊張しました。



帰国してからのUSは猛烈に寒かった様です。中国も大降雪で作付面積の何分の一かが雪害でを被っているそうです。ギリシアも大寒波で人が死んでいるくらいらしいです。

もっともドイツの仕事仲間は「穏やかな冬で雪がない」なんて電話で言ってましたけど‥。
追記 (Mar 05 2008) :先週の大嵐(Emma)で欧州各地で死者が出てますね。