2011年4月4日月曜日

CrossStandards #01

マグニチュードって?

今も整理して考えています。が、難渋しています :"-/
発表されている数字が何に基づいているか不明瞭なのです。


まず↓と発表がありました。
>2011年3月11日14:46: 0.0 38゜ 0.0'N 142゜54.0'E 
>10km M:7.9 三陸沖 最大震度:7
【参照:気象庁】3月11日〜31日に地震情報を発表した地震の震源及び震度*1

マグニチュード
M7.9はしばらくしてM9.0の修正されました。「精査」したと言う事でしょう。

この「M=マグニチュード」からして複数の種類がありました :-O
まず「Mw」と言う表記に惑いました ?:-O

TheFirstQuestionで挙げた巨大地震のリストです。

>・チリ地震(Mw9.5、1960年)
>・アラスカ地震(Mw9.2、1964年)
>・スマトラ島沖地震(Mw9.1~9.3、2004年)
そして
>・東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)(Mw9.0、2011年)
と続くのですが、「Mw」の意味が分からないので書けませんでした。

気象庁のサイトでは単に「M」としか表記されていません。ところが気象庁独自のマグネチュード「Mj」と言うのもあるんです。どちらの基準を採っているかが判りません :-O

まずは優劣を訊いているのではありません。「どっちですか」と知りたいだけです。

【参照:Wikipedia】 マグニチュード

- つづけます --

【註】*1=開示された日付がありません =:-O


2011年3月30日水曜日

DeadOrAlive ?

なぜ訊かないのだろう

12日に私が抱いたのは単純な疑問です:
「耐えられる設計になって(いる / いない)」のか?」どちらかです。

ダメなら何をおいてでも住民を退避させるべきでしょう。


03月19日に読んだ「耐震指針類説明用パンフレット(PDF:2,101KB)」を見ます。発行者も日付も記されています。

Page 2:平成18年09月に「耐震指針」が改訂され
Page 3:「2. 耐震指針の主な改訂内容」に「耐震設計」と言う文言があります。
そして
Page 4:「(2)基準地震動の策定方法の高度化」で

・マグニチュード6.5の直下地震を想定していた‥‥‥
→「6.5の直下地震」を改定前は想定してたのです!

・想定していたが‥‥‥
→改定後の「耐震設計強度」は幾つか明示されていません。これで私は混乱しました。


本当に「福島原子力発電所の耐震設計強度は幾つですか?」と誰も訊いていないのでしょうか?私が知らないだけの可能性もあります。そうなら、答えはどっちだったのでしょう?

今日となって「戦局必スシモ好転セス」と言い始めています。これは戦争ではありません。「無条件全面降伏」したくても相手がいません。

「福島原子力発電所の耐震設計強度」は今は訊きません。しかし「なんだかワカンナイヤ」にしてはイケナイです。「失敗の研究」が苦手な社会は同じ事をくり返します

なので、19日以降に気がついた事をもう少しだけ整理して考えて書きます。

【参照:原子力安全委員会耐震指針類説明用パンフレット(PDF:2,101KB)

- つづけます --


2011年3月29日火曜日

Fukushima 411

そのうちわかるさ

福島原発の耐震強度がM.9.0を下回っていないか知りたかったのです。防御設計を越えた衝撃をくらったのでしょうか。だとしたらそこで「勝負」はもうついているでしょう。

「浮沈戦艦」と謳っても沈む時には沈むのです。根本の疑問ではありませんか。

03月12日に調べました。ところが核心を突いた情報が見つかりませんでした。そして手をつけませんでした。こんなアタリマエの事はすぐに誰かが訊いてメディアに流れるだろうと思って手を抜いたのです。

事態が悪化していく様子が脈略なく分かる様になってきました。こうなると展開に付いていけなくなりました。基礎学力がないとこうなります。

世の中が静かになりました。そこいら中で多くの人が身を潜めている気配が漂う時間でした。「欲しがりません勝つまでは」と言う心理状態を体験するとは思いませんでした。不意打ちでした =:-O

「眠っていたら死んでしまう」と気がついたのは19日です。分室のブログで MoonBoundAgain を書いた日です。

それらしき事に触れられたアクロバット文書を 原子力安全委員会 のサイトで見つけました。「これだろう!」と思う箇所はありました。しかし「これだ!」言えるほど理解できませんでした。

なんだかゴニョゴニョ言ってる部分があります。何を言いたいの判らないから先が見えなくなりました。

アクロバット文書は 新耐震指針の概要(PDF:216KB)耐震指針類説明用パンフレット(PDF:2,101KB) ほかです。ダウンロードできます(昨晩現在)

- つづけます -


TheFirstQuestion

設計スペック

このブログを再開した動機を書きます。

03月11日、地震が全国で頻発していました。福島の原子力発電所が損傷を受けているとTVで知りました。

非常冷却用のディーゼルが動かないと妻から聞きました。私は「燃料切れ」か始動用のキー(かどうかは知りません)が見つからない類いの「ツマラナイ」ヒューマンエラーをしたのだろうと思っていました。

しばらくすると最初の地震の規模がM8.7だったかM8.8だったかからM9.0に訂正され「世界最大級」の地震だと報道され始めました。

TVでこれまでの大地震として挙げられていたのは:

・チリ地震(Mw9.5、1960年)
・アラスカ地震(Mw9.2、1964年)
・スマトラ島沖地震(Mw9.1~9.3、2004年)

【参照:Wikipedia 】巨大地震


「三陸沖津波」と「1960年のチリ地震」はどちらも聞いていました。でも理解していませんでした。「スマトラ」はすぐ判りました。モルディブにいた各国のバケーション客の多くが津波に流された時です。「アラスカ」は知りませんでした。

M9.0と聞いて驚きました。しかし、このレベルの地震はすでに発生していたのです。

福島原発の耐震強度はどのくらいだったのだろうか、と気になり始めました。

- つづけます -


2011年3月28日月曜日

SubmergedVehicle

水没車両が本当に売れる物ならば

唐突に再開します。国際空港の稿はアトマワシです。

津波に流されたクルマは何台くらいあるのでしょう。あるネット広告で「水没したクルマ買い取ります」と見たからです :-O

水没車買取 東北」でグーグル検索したら60000件程ヒットしました =:-O

遭難を免れた車両もいますし、どんな物でも値段がつくと言う訳ではないでしょう。でも車両の登録台数が判ればザックリと数字が読めるでしょう。

自工連(=JAMA - 一般社団法人日本自動車工業会)の統計を見ても判りません。誰も知らない筈がないと思ったらイマシタ。

国と地方自治体が稼働している自動車のアラカタな全数を把握しているはずです。自動車損害賠償責任保険 は国の管轄です。そして 自動車税は地方自治体です。

動かないクルマのオーナーが個々人でオークションに出さなくてもなにか方法はないでしょうか。被災した住民のクルマは自治体が販売委託を受けるカタチにはなりませんか。個人の売却益を放棄してもらって救援資金のタシにするのです。

仙台は100万人で政令指定都市です。仮に1万台だけでも1万円で売れれば100億円になります。もっとうまくいかなくても1000台くらいなら売れる気もします。

「車検証」と「ナンバープレート」が無いからダメなんて事はアリエナイないでしょう。車台番号を記録して時間ができた時にゆっくり確認作業を重ねて再発行すればどうでしょう。

机上の空論です。見落としばかリでしょう。根本的に成り立たないかも知れません。

ただ、この「水没車」何とかなりませんかねぇ。


2009年8月18日火曜日

ConceptionAbility_#03

国際空港シェルメティボ II (ШереметьевоII)

ソヴィエットが崩壊するまでは頻繁にアエロフロート(SU=Аэрофлот)のモスクワ経由便で欧州出張に出かけていました。当時はシベリア航空路が西側の国には解放されていなくて、遠回りしてアラスカのアンカレッジ空港で一旦給油、そして北極圏を飛ぶ以外にはありませんでした。フィンランドは東西の政治的なバランスを上手くとって、フィンエア(FIN)のシベリア路線を持っていましたが、ちょっと高かったです。当時SUの航空運賃は安かったです。しかも早く目的地に着けるのがSUの魅力でした。SUには酒の肴になる様な話が幾つかあるので更めて書きます。

さて、SUで成田を発つとモスクワのシェルメティボ II空港で乗り継ぎです。私たち東アジア人が欧州やそれ以遠を目指すならばあの位置はメリットが有りました。「全方位ハブ空港」ではないにしても東からのアクセスには「ゲイトウェイ空港=欧州への玄関」です。当時の東ドイツのインターフルーク(IF=Interflug)にも乗れますした(要ビザ)。その時代「陸の孤島西ベルリン」には英米仏の航空会社しか飛ぶ事を許されていなかった記憶があります。

しかしアエロフロートはロンドンにもフランクフルトにもミラノはもちろん、すでにアフリカや南米まで路線を拡げていたのでした。

反対に西方からのアクセス旅客に対しては魅力が乏しいかも知れませんね。認識不足かもしれませんが、ロシアのモスクワ以東に足を伸ばす旅客数はそれほど多くない気がします。私がフランクフルトに行くのにロンドンやアムステルダムまで先ず往って、そこから戻るのはナンカなぁ、と思う逆バージョンかも知れませんね。

当時、日本に出かけるドイツ人や英国人もけっこうSU機内で見かけました。多くが常連客の様でした。こうした顧客層には「ハブ」に成っていたのだろうと思います。


2009年8月7日金曜日

ConceptionAbility_#02

国際空港の事など:巨大都市空港

東京に住んでいる私にとってすら成田はホトホト不便です。地方から海外に出かける人たちは往きも還りも大変だと思います。関空は利用した事がありませんが、ここも良い評判は聞きません。むしろボロクソに言われていますね。

まず遠くて時間がかかります。特に成田は東アジアのハブ空港を韓国の仁川と競うには規模が小さすぎませんか。太平洋西周り航空路では東アジアの「Gateway」にはなり得る地の利はあります。が、東回りルートからのアクセスには「極東の終着点」でしかあり得ません。しかも「国内Hub」としてもアンマリな状態ではありませんか。

羽田を拡張すると言う構想も聞きます。国内の各都市から(に)乗り継ぐ人にとっては朗報しょう。ただ、旅行者が飛行機以外の交通手段を利用して比較的近距離の都市との間を移動するには都市圏が巨大すぎて、膨大な利用客に遭遇する事は避けられません。時間帯によっては悲惨でしょう。伊丹もカンベンしてくれ、と言う感じです。

東京の人口は1200万人だと言うアタマがありました。ところが東京を取り巻く近県の都市を含めた「首都圏」の人口はもはや3,460万人で、国内総人口の30%弱なのだそうです :-O

東京を凌ぐ人口集中都市、韓国のソウル首都圏(ソウル特別市、仁川広域市、京畿道一円)はどうなっているのか気になりました。総人口は近く5000万人を越し、その45%がソウル首都圏に暮らしているそうです。凄いです :-o

ところが今日の仁川は世界でも最も評価の高い空港の1つです。私は金浦時代しか知りません。でも、仁川の良質のサービスが評価されているなら、他国の空港のあり方の「失敗の研究」が活かされているのでしょうね。ちょっと興味があります。