2009年8月18日火曜日

ConceptionAbility_#03

国際空港シェルメティボ II (ШереметьевоII)

ソヴィエットが崩壊するまでは頻繁にアエロフロート(SU=Аэрофлот)のモスクワ経由便で欧州出張に出かけていました。当時はシベリア航空路が西側の国には解放されていなくて、遠回りしてアラスカのアンカレッジ空港で一旦給油、そして北極圏を飛ぶ以外にはありませんでした。フィンランドは東西の政治的なバランスを上手くとって、フィンエア(FIN)のシベリア路線を持っていましたが、ちょっと高かったです。当時SUの航空運賃は安かったです。しかも早く目的地に着けるのがSUの魅力でした。SUには酒の肴になる様な話が幾つかあるので更めて書きます。

さて、SUで成田を発つとモスクワのシェルメティボ II空港で乗り継ぎです。私たち東アジア人が欧州やそれ以遠を目指すならばあの位置はメリットが有りました。「全方位ハブ空港」ではないにしても東からのアクセスには「ゲイトウェイ空港=欧州への玄関」です。当時の東ドイツのインターフルーク(IF=Interflug)にも乗れますした(要ビザ)。その時代「陸の孤島西ベルリン」には英米仏の航空会社しか飛ぶ事を許されていなかった記憶があります。

しかしアエロフロートはロンドンにもフランクフルトにもミラノはもちろん、すでにアフリカや南米まで路線を拡げていたのでした。

反対に西方からのアクセス旅客に対しては魅力が乏しいかも知れませんね。認識不足かもしれませんが、ロシアのモスクワ以東に足を伸ばす旅客数はそれほど多くない気がします。私がフランクフルトに行くのにロンドンやアムステルダムまで先ず往って、そこから戻るのはナンカなぁ、と思う逆バージョンかも知れませんね。

当時、日本に出かけるドイツ人や英国人もけっこうSU機内で見かけました。多くが常連客の様でした。こうした顧客層には「ハブ」に成っていたのだろうと思います。


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