2008年11月1日土曜日

Oi Paulistano! #11b

Metrô Anhangabaú



地下鉄の駅入り口にMetrôのマークと駅名を表示する標識が立っているので間違いありません。遅い午前ですがこの辺りはどこも人通りが多くて活気があります。

通りを左に折れるとそこからはエスカレーターと階段が下に続いていました。

降りきるとまた先の通りよりも低い外の通りにで一旦外に出てしまいます。左手に自治体庁舎の反対側の面が見えていました。


そして、そこから右手にUターンするとメトロの改札が有りました。






【追記】Nov 03 2008
この辺りの空撮画像を見つけました(Shift+Clickで別ウィンドウが開きます)。

画面中央のブルーの広場(=ヘリポート)が自治体庁舎です。この左手の通りを画面左下の方向に進んでビルの谷間を右側に折れます。やはり黒っぽいビルの右隣の緑地の下が下に降りるエスカレータと階段が有る場所に成ります。

画面上のやや右寄りの緑地が「Sé」だろうと思います。大聖堂(Catedral Metropolitana)の尖塔とドームが顔をのぞかせています。


Oi Paulistano! #11a

Metrô Anhangabaú

Mappa Central を見ながら駅を捜しますが、微妙に地形と方角がピンと来ないのです。どうやら自治体庁舎をランドマークの1つとして大きく描いてあるので Anhangabaú との位置関係が合わないようだと気がつきました。

そこで「ザヴィエル・デ・トレド通」(Rue Cel.Xavier de Toledo)を先ず見つけて角を左の折れると程なく見つかりました。




2008年10月1日水曜日

Oi Paulistano ! #10

Fascist Style

昨日の宿題になっていたもう1つの地下鉄駅「Anhangabaú」の場所を確認に出かけました。お天気も上々で人通りも盛んです。

道路の反対側に渡って自治体庁舎(Prefeitur Municipal)をふり振り返ってみました。窓も異様に大きくて、まあ威圧感タップリな佇まいです。背景に私の泊まっているホテルが見えます。なるほど屋上は私の宿泊階とドンピシャ同じ高さですね。



空港で貰った「市内地図=Mappa Central」には、1930年代終わりにイタリア人の建築家によって立てられた典型的な「Fascist Style」で往事の「Matarazzo」財閥の本拠だった。とありました。ファシスト様式ってこう言うものだったのですねー :-o

通りにはトロリーバスも乗用車も、小型のトラックも行き交っています。バイクも多いです。


2008年9月30日火曜日

Oi Paulistano ! #09

西瓜から日本のユクスエを考察する

さて朝を迎え、珍しく朝食を摂りに最上階のホールに出かけました。パンやハムの種類が豊富です。暖かい卵料理も有りますね。さすがに安宿ではないのでコンチネンタルな朝食ではあまり見かけないくらい豪華なメニューでした。

辺りを見回すとフルーツを食べている人が殆どです。私も Fruit Punch と西瓜を少し取ってきました。どちらもベタベタと甘く有りません。生ジュースもそうですがちょっと独特のアクが後味に残ります :-o

朝から西瓜を食べた事は有りませんでしたが悪く無いですね。味は西瓜の皮に近い部分の様にサッパリとして瑞々しい味です。考えてみると日本の果物もかつてはヘンに甘いだけではなかったなぁ、と思いました。

日本の産品って何であれ少しでも競合品との差別化を図ろうとイジクリまわして「原型」を損なって行くものが多い気がしませんか。苺なんてお化けみたいに大きくなって「苺の様な唇」なんて言おうものなら意味が通じかねなくなってますもんね。

工業製品にしても新規な付加価値を追加するのにキュウキュウとして、製品本来の価値がどこにあったのか判らなくなり、結局はシェアを漸減させるスパイラルに落ち込んで行く印象が有ります。日本の社会がここから抜けるには相当な痛みと時間を覚悟しなくて葉なら無いのだろうなぁ、と思いながら食べた朝の西瓜でした :-9


2008年9月29日月曜日

Oi Paulistano ! #08

長い夜(続)?

10日ほど出張にでていました。またまた更新が遅れています。

泊まっていた階がちょうど「Prefeitura Municipal」の屋上階と同じ高さで、その頭上に回転灯を点けたヘリコプタが浮かんでいるのが見えました。みるみる下降して来て半回転するかと思うと目の前に着陸してしまいました :-o

窓を開けると強烈な爆音です。機体に駆け寄る人影が見えます。こんな街の中心部で交通量も多いところに日常的にヘリコプタが発着しているとは思いませんでした。夜も遅いのに吃驚です。



こんなに近くでヘリの着陸を観た事は有りません。しかもホテルの部屋に居ながらにして‥。眠気か飛んでしまったのでもう1本ビールを空け、書類の整理やポルトガル語のにわか勉強などを始めました。

そんな事をしているうちに日付も変わり BBC News を観ながらごそごそやっていると、ボンと電気が消えました。あれ、また停電です。窓の外の建物には灯りが見えるのでホテル自体の配電トラブルでしょう。暗闇で煙草を吸ったりして暫く待っていましたがどうも短時間では回復しそうでもないのでヤムナク寝る事にしました。

翌朝は停電から回復して流れ出したBBCの放送で目が覚めました :-)


2008年9月6日土曜日

Oi Paulistano ! #07

長い夜?

変な時間に眠ってしまったので日付も変わらない前に目が覚めました。時差と寒さと時おり窓の外から聞こえてくる強烈な爆音のせいもあったでしょう。

到着するなり窓辺の造りが「耐寒」を考慮していない事はすぐに判りました。ブラジルの8月は本来「真冬」なのに日中はジャケットは邪魔になるくらいの気温に成りそうです。だったら当然ですね。アルプスから南のイタリアやスペインで冬にホテルに泊まるとトンデモに寒い。それと同じです。


窓の造りも似ています。
窓の面積全体は天井に埋め込まれたヨロイ戸(Jalousie)でカバーされる様になっていて、壁に埋め込まれたベルトを引き下げたり戻したりして位置が固定できます。左右のガラス引き戸部分の上、日本式に言えばランマに当たる部分、はレバーで手前に開閉する仕組のガラス窓に成っています。欧州とは違うなぁ、と思った造りも有りましたが基本は同じでしょう。

窓の下には壁をくりぬいて一体型のクーラーがドンと屋外に向けて設置されています。外気の遮断は神経質に考えないでパワーで部屋を冷やしてしまおう、と言うUSアメリカン(?)な設備でした。


私は「Smoking Cures Cancer」を信奉する喫煙者なので、ホテルの窓はよほどの事がなければ煙り抜きに少し開けて寝ます。これも「寒い」原因なのは知っています。鞄からNATO軍のセーターを出して着ました。急場の寒さしのぎです。

そうこうしていると再び強烈なエンジンの爆音が近づいて来ました。カーテンを開けて外を見たらいささかギョッとしましたね。


2008年9月5日金曜日

Oi Paulistano ! #06

読める言葉と聞きたい言葉

セー広場(Praça de Sé)から宿泊先の区画をぐるりと廻り、雑誌と新聞を置いているスタンドを捜してみました。ポルトガル語以外の出版物がないのです。滞在ほぼ終わりに英字紙を置いているスタンドを見つけました。大学も近いので地域によって差はあるのかとも思います。

ともあれ私はビールを呑みながら読めればと思っていた新聞か雑誌は手に入りませんでした。考えてみればホテルのロビーにも英字紙は見かけませんでした。

部屋にはケーブルTVが入っていました。英語の放送は(そのホテルでは)「BBC」だけでした。ロシアとグルジアが戦闘状態に入っているみたいです。ビルマで「住民蜂起か!」とも聞いたのですが、続報は聞いていません。どうなったのでしょう。

ポルトガル語の放送も聞きたくて、ドラマやバラエティの放送を流したままにしているうちにウトウトしてきました。言葉の「音」が頭の奥に響いていました。

考えてみれば、昔は欧州でも「外国語の放送」は一般的ではありませんでした。でも何とかなったのです。

ホテルの部屋や移動中の車でラヂオを聞いていて、何日か経つと何について話しているのかの見当が点くものがでて来た気がします。加えてその国のヒット曲なんかを聴くのも大きな楽しみでした。

日本と同じ様な「電話リクエスト」も有って、あー、こうしたアクセントでこんな「声」でこの国の人は話すのだなぁ、と面白かったでです - どの国でも内容はダイタイ同じですもん。

この類いのラヂオを聞きたければ今ならどこにいても「NetRadio」で聴けますが、その国に行くと却ってラヂオを聞くチャンスが限られます。「グローバル化」って何なのでしょうね。

窓の外では大粒の雨がスコールの様に降り始めました。忘れた頃に強烈なエンジン音が響いていました。寒いです。